大判例

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京都地方裁判所 昭和47年(わ)680号 決定

【主文】

本件各請求をいずれも却下する。

【理由】

一本件検察官請求に係る各書面は、いずれも昭和四七年二月一五日から同年一二月二五日にかけて警察犬訓練士竹本昌生(但し、検甲第四〇号については同竹本義雄も関与)が、相当の訓練を施した警察犬アダロー号、クラム号、ユングフアー号を使用して本件事件発生現場付近で発見押収されたマスク、軍手、背広、コート、ズボン等の遺留品の臭気と被告人らの臭気とが一致するかどうかを確認するため行つた臭気判別検査(以下、右各検査を特に区別しないでその全体をいう場合は本件検査という。)の経過と結果とを記載した書面であるところ、検察官は、本件各書面の性格を検証調書ないしは鑑定書に準ずるものとして右各書面の作成者が見分の状況及び作成の真正を公判廷で供述しているから、刑訴法三二一条三項ないしは四項によりいずれも証拠能力が付与されるべきである旨主張する。

しかしながら、そのためには弁護人らが主張するとおり、犬の嗅覚を利用した臭気選別という本件検査の性質上、先ず右検査の方法、選別にあたつた訓練士及び警察犬の選別能力等本件検査の正確性、信頼性を検討し、はたしてそれら検査結果を記載した右書面に、検察官主張の各条項に基づき、証拠能力を付与し得るだけの正確性、信頼性があるか否かを確定する必要があるものと考えられるので、以下、この点につき検討する。

二(1)  <証拠>によれば、犬の嗅覚は一般に人間の数千倍ないし数万倍といわれ、極めて鋭敏なものとされているが、人間の個人臭を識別し得るか否かについての科学的定説はなく、生理学、畜産学、動物学等の関係諸科学のいずれの分野からも、そのための実験はなく、従つてそのデータも存在せず、また臭気の実体、構造、種別、嗅覚のメカニズムといつた点についても現在のところその大部分が科学的に未解明で、今日分析科学、特にガス分析に広く活用されているガスクロマトグラフ装置等の高性能の機器を応用しても人間の体臭を詳細に分析し得ず、当然体臭の個人差を識別し得ない現状であること、一般に犬の嗅覚が人間に比べ遙かに鋭敏であるとはいえ、いかなる犬でも臭気選別検査に供し得るわけではなく、生物である以上種別、血統、年齢、訓練の度合等により臭気判別能力に個体差が生じ、訓練士において嗅覚が特に優れていると思われる犬を生後間もなくから数か月ないし数年間専門的に訓練を施し、その過程においても取捨選択を行つて、個人臭選別能力を獲得したと判断されたごく少数の警察犬がはじめて本件のような臭気選別検査に用いられるものであること、しかもそのように臭気判別検査に供し得るとされた警察犬の臭気判別能力も、季節、天候、気温、臭気判別を行う場所の雰囲気、当日の犬の体調等により微妙に影響されることがあり得ることから訓練士がその日の犬の調子や、予備テストの成績などを総合的に観察してその日の検査に耐え得ると判断したときはじめて本件のような臭気判別検査に使われるものであること、が各認められる。

(2)  ところで前掲竹本昌生の供述部分によると、同人は同人の警察犬を利用した臭気判別の正解率は同人のこれまでの経験によるとほぼ一〇〇パーセントに近い旨述べているが、当公判廷における証人大泉清の証言によると、本件各臭気判別検査にあたつた警察犬の内アダロー号についてはその能力をテストするため昭和四七年六月二日遺留品選別とは別に、警察官着用の背広、マスクを利用して判別テストが行われたのであるが(検甲第七〇号司法警察員作成の報告書)、その結果は一四回中一二回的中、二回不的中であつたこと、また同年二月一五日アダロー号とクラム号を使用して行われた遺留品のグループ分けのための臭気判別検査(検甲第八三号司法警察員作成の報告書)においては、コート(18)(以下、品名の下の番号は検甲第一六号ないし二六号の領置調書一一通に記載の資料番号を示す。)とマスク(13)、コート(6の3)とマスク(12)、背広(6の1)とマスク(13)、軍手(2)とマスク(1)、軍手(5)とマスク(1)、軍手(5)とコート(16)が各同一臭と判定され、従つてマスク(13)、背広(6の1)、コート(18)が一グループ、マスク(1)、コート(16)、軍手(2)同(5)が一グループ、コート(6の3)とマスク(12)が一グループと各判定されて、この結果はその後行われた臭気判別検査すなわち同年七月五日の検査(検甲第二八号司法警察員作成の実況見分調書、被告人須賀着用の丸首シャツを原臭としてマスク(13)、背広(6の1)、コート(18)を選別)、同年七月九日の検査(検甲第三九号司法警察員作成の実況見分調書、被告人上坂の記名入り長袖シャツを原臭としてマスク(1)、コート(16)、軍手(2)、軍手(5)を選別)、同年一二月二五日の検査(検甲第四七号、司法警察員作成の実況見分調書、被告人高木の靴下移行臭を原臭としてコート(6の3)とマスク(12)を選別)の結果ともよく符号するが、一方二月一五日の検査と七月九日の検査は後記のとおりその方法に問題があり、二月一五日の検査では、アダロー号とクラム号両頭を使用し、原臭を軍手(2)とした実験(第九回)においてアダロー号はコート(16)を選別しているが、クラム号は反応なしと両頭別々の結果を示し、またコート(16)を原臭とし、マスク(1)を含む七点のマスクを対象物とした実験(第五回)では、前記グループ分けの結果よりすれば当然マスク(1)を選別して然るべきと思われるのに、両頭とも反応なしの結論となつていること、当裁判所が昭和五四年五月一四日警察犬クロチラ号を使用して行つた臭気判別実験(当裁判所の昭和五四年五月一四日付検証調書)においては、正解一個を含んだ五個の物の内から正解物一個を選ぶ実験では七回中正解物選別五回、非正解物選別一回、選別せず一回の結果となり、また正解物二個を含んだ五個の物の内から正解物を選ぶ実験二回では二回とも選別せずとの結果となつたこと、また東京地方裁判所昭和五〇年刑(わ)第二六五四号事件証人天野重夫の尋問調書(二通、弁甲一一号)によれば、警視庁管内において本件と同様の臭気判別に供されている警察犬アルフ号の昭和五〇年一二月までの使用結果では臭気選別の成功率は三五例中三〇例八六パーセントで、右成功率は右当時警視庁管内で臭気判別に供されていた警察犬八頭中二番目にあたるものであるが、失敗例五例の中には、捜査の結果犬が咥えたのが間違いであつたことが明らかとなつたもの一例も含んでいること、前掲竹本昌生供述部分によると、日本警察犬協会主催の訓練競技会が毎年一回行われ、本件臭気判別検査と同様の方法による物品選別競技もあるが、右競技では昭和四四年から昭和四八年の五回中二回はチャンピオン保留の結果となつていること(第一科目(予選)で四回中三回的中すれば第二科目(決勝)に進め、第二科目において三回中三回(場合によつては四回中三回)的中すればチャンピオンとなる)、が各認められ、以上の事実に徴すると、警察犬の臭気判別能力は相当高いものがあることは窺われるものの、竹本昌生の前記供述のようにそれが常に一〇〇パーセントに近い正解率を示すものではなく、当該臭気判別検査にあたつた個々の警察犬の判別能力によつて正解率に高低があることが窺われる。而して個々の警察犬の臭気判別能力の高低を判断する材料としては、当該警察犬の判別能力を客観的に示す資料例えば訓練過程において当該犬が個人臭識別能力を獲得したことの根拠となつた実験データや当該各臭気判別検査当時における能力を示す試行テストのデータ等が最も重要なものであることはいうまでもない。のみならず本件検査が臭気という時間の経過によつて飛散、変化し易いものを対象とするほか犬という動物の嗅覚を利用して臭気の同一性を判断しようとするものであるため、その犬が同一臭気と判断した過程、判断の根拠等を明確にすることができず、従つて後日の公判段階において右検査結果の正確性について通常の場合のように反対尋問或いは再鑑定の方法等により審査検討をすることが実際上多くの場合困難であること、また犬の臭気判別能力も年齢一〇歳を超えると概ね低下してくること(前記竹本昌生供述部分、天野重夫の尋問調書により認められる。)その他から当該臭気判別検査に用いた個々の犬の判別能力自体も公判段階においてこれを審査検討することが困難な場合が多いこと(現に当裁判所の前記検証においても、アダロー号、クラム号、ユングファー号のいずれも使用にいたらなかつた。)にも照らし、先に述べた客観的資料の存在がいかに重要であるかが、なお一層明らかである。

ところで本件各臭気判別検査に用いられた警察犬の内アダロー号についてはその能力テストが行われたことは前記のとおりであるが、右テストは正解物一、非正解物二種類各二、計五個の物を並べたものから正解物を選ぶという実質三種類のものから一つの正解を選別するという簡単なもので、回数も原臭を四回変えて各原臭ごとに三ないし四回の合計一四回実施したにとどまり、その臭気選別能力がいかほどのものかを正解に評価するには甚だ不十分といわざるを得ないものであるうえ、クラム号、ユングファー号については、右のようなテスとはなされず、その能力評価の材料となるべきその他の資料も提出されていないところであつて、このことは結局本件各臭気判別検査結果の正確な評価を著しく困難にするものという他ない。

のみならず、前掲竹本昌生の供述部分によれば、同人は同じ実験を三ないし四回行つて三回以上選別物が一致すれば確実に同一臭と判定している旨供述しているところ、本件各臭気判別検査の実験回数をみるに、昭和四七年七月五日施行分(検甲第二八号)、同月九日施行分(検甲第三九号)は各二回(但し検甲第二八号中マスク(13)を選別した実験は同月三日の検査(検甲第二九号)の二回と合計して四回)、同年一一月一四日施行分(検甲第四〇号)、同年一二月二五日分(検甲第四七号)、同年六月二日施行分(検甲第七〇号)は各三回(但しコート(6の3)を選別した実験は四回)、同年二月一五日施行分(検甲第八三号)は、各一回(但し、第一、第五ないし七、九、一〇回の各実験はアダロー号、クラム号一回ずつ通じて二回)と各回まちまちで一定したものがないことが窺われるうえ、一回又は二回しか回数を行つていない検甲第二八号、三九号、八三号の各実験は右竹本供述に照らしても明らかに同一性判断にとつて不十分であることが認められる。また、同年七月九日、一一月一四日の各検査(検甲第三九、四〇号)では、被告人上坂の記名入り長袖シャツ、同被告人の着用していた肌着を原臭とし、対象物はマスク四点の中にコート(16)、軍手(2)、同(5)を各一点ずつ混入してこれらを選別させているが、元来口臭とその他の体臭とはそれ自体かなり相異するものがあることと経験則上明らかであり、右のような対象物の設定の仕方は個人臭の識別を目的とした本件検査の性質上、その相当性は極めて疑問であるといわざるを得ず、結局以上の本件各検査の方法上の問題点も本件各検査結果の信用性判断にとつて少なからぬ障碍となるといわざるを得ない。

三結論

以上述べたとおり、警察犬の臭気判別能力が経験則上相当高いものがあると窺えるとはいえ、今日警察犬の個人臭識別能力に関し一般的に承認し得るような科学的定説、実験データは存在せず、しかも本件のような臭気判別は個々の警察犬によつて(それにその検査時の体調、条件等によつても)判別能力の正解率に高低が生ずると解せられる以上、当該検査の正確性、信頼性を判断するには当該検査に当つた警察犬の判別能力を的確に判断し得るような客観的資料即ち先に述べたような訓練過程において当該犬が個人臭識別能力を獲得したことの根拠となつた実験データや当該検査時におけるその能力を知るうえで必要な試行テストのデータ等の資料が必要不可欠であるといわなければならないところ、本件においてはかような資料が極めて不十分である上、その検査方法自体においても、先に見たとおり信用性判断の障碍となるようないくつかの問題点があり、結局本件各検査の正確性や信頼性を判断することは極めて困難であるといわなければならないこと、しかも本件のような臭気判別検査が臭気という飛散変化し易いものを対象とし、犬の嗅覚を利用するという方法の特殊性からして結果の正確性について後に他の第三者による再鑑定等の方法による審査を行うことが実際上まことに困難であるという前記特質をも考慮すれば、検察官請求の本件各検査結果を記載した標記書面をその主張に基づく条項により、証拠能力を付与することは出来ないものと解するのが相当である。

よって主文のとおり決定する。

(石田登良夫 山田賢 豊田建夫)

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